「暫定復活」ジャズ&クラシック・レコメンド -3ページ目

クラウディオ・アバドという指揮者

 クラウディオ・アバドはわたしにとってポジションの難しい指揮者です。


 もちろん彼は世界有数の指揮者で、そのことに異議を唱えるわけではないのですが、

あくまでもわたしの中でのポジションです。


 最近、彼はガンを患い、激ヤセしてしまい、以前の万年青年のような容姿は失われましたが、

やはりいつもクールな優等生のような印象があります。

 少し前のニュース映像では、少し体重を戻し、かっこよくなっているようですが。


 どうも音楽的姿勢にも、そのような優等生的態度が見え隠れし、わたしにとっては斜めから見てしまうと

いうか、まともに聞くことができないというか、そういう指揮者でした。


 言い換えると、どうもそれはわたしはない良いものを彼が持っているので、「ねたみ」が原因だったのかもしれません。


 それで偏見なしに彼の音楽を聴いてみると、彼の丁寧な、一音一音を磨き上げた音作りに気付きました。


 愛聴盤BEST3を。


ベルリーズ:幻想交響曲(シカゴ響と)

berlioz

 以前に第5楽章の地獄での葬式に、ヒロシマの平和の鐘をサンプリングしていることを

「場違い」とけなしましたが、この澄んだ鐘の音を使うことで、逆に厳粛さが増し、一層残酷な

パロディーになっているように思います。全体としては徐々に音楽が盛り上がり、最後に大爆発する

名演でしょう。


マーラー:交響曲第5番(シカゴ響と)

mara5

 この録音はオケの機能美と彼の繊細さ、イタリア人らしい情熱がかみ合った

白熱の演奏です。


ブルックナー:交響曲第4番「ロマンティック」(ウィーン・フィルと)

BR4

 一音一音を慈しんで演奏しています。時に慎重すぎと思われるところもありますが、

ウィーン・フィルというリムジンを得て、どの部分を切り取っても唖然とするくらいの美音を

奏でます。「今」を感じさせる名演です。


 他にもグルダのサポートに回ったモーツァルト23番のスリリングな演奏、

BPOとの伝説的ライブ、マーラー「巨人」など、お勧めです。


 

せっかくの休日…。

わたしにとって休みということは、一人もお客様の予約が入らなかった日になります。

今日はほんと久しぶりのお休みにもかかわらず、カゼで寝込んでしまいました。

今日中に治すように妻に厳命されております。


オーディオの話を。


わたしは以前から一番胡散臭いオーディオ製品は「ケーブル」だと思っております。

だってスピーカー以上に高いスピーカーケーブルとか、アンプ以上に高いケーブルとか。

と言っても、わたしが使っている機種に比べて高いという意味ですが。


そんなに高いケーブルを買うなら、わたしは数十枚、未聴のCDを買いたい。これが本音です。


「ケーブル」の世界にのめりこむことはよく地獄と言われております。


わたしの基本的な考え方としてはケーブルでいろいろ音を変えると、結局、オーディオ本体の性能やクセが分からなくなるのではと考えています。ミュージシャンが目指した音とかも。


最低限のこととしてスピーカーケーブルをメートル80円のカナレのものに換えました。

カナレのケーブルはスタジオやコンサートホールの標準仕様ですから間違えはないかと思いました。音はかなり変わりました。


もう少し何かできないかと。

そう思ったのは達郎の「ソノリテ」を購入してからです。今回のアルバムで達郎の音は良くも悪しくもシルクからコットンのような肌触りに変わりました。

まあまあのオーディオを使っている(つもりでいる)わたしとしてはこれが達郎の目指した音なのか考えさせられました。


原点に立ち返ってみて、ふと考えたのは、せっかく音の出口をきちんと整えたのに、音の入り口、

つまり、CDプレーヤーとアンプを接続するRCAケーブル(ピンケーブル)はどうかということです。


取りあえずスタジオ仕様にしようということで探してみると、意外と安価なもので2500円で入手できました。

CD1枚くらいの投資はOKだろうということで。これもカナレのものでヤフオクで見つけました。


ケーブル


結果としては、かなり良好です。

問題の達郎の「音」、これはかなりピンケーブルのせいでした。

かなり伸びやかに、そして(他のソースも)芳醇になりました。

またセンターのヴォーカルもぐっと張り出してくるようになりました。


今までは入り口の時点で、汚れた水道管を通らせていたのでしょう。

標準のケーブルに差し替えるとやはり以前のくもった音になります。


まあ、オーディオ機器に付属するケーブル類は通電確認用くらいの用途なのでしょうか。


しかし、ケーブルに関してはこれくらいでやめておくのが得策かと思います。


わたしとしてはケーブルにお金をかける事は、やはり、水道管を純金にするような居心地の悪さが伴います。



画像追加です。

昨日のモーツァルトのクラリネット五重奏曲のジャケット写真です。

モツ5

ハルモニア・ムンディ(仏)の輸入盤(限定版)です。非常に格安。1000円もしません。

簡素な日本語解説が付いておりました。

優雅でスムースな演奏です。

それにしても、モーツァルトは、この曲を金策に追われ、悲惨とも言える毎日を送っていたころに書いていたんですね。

彼はこのような曲を書くことで、自分も癒されていたのでしょうか。

そう思わずにはいられない曲です。

モーツァルトの笑顔の影の涙を垣間見るような曲です。



ご無沙汰しておりました。(言い訳です)。

皆様、ご無沙汰しておりました。

言い訳にしかなりませんが、一心不乱に仕事をしていました。

都合、メルアドも変えてしまい、皆様のご意見にも答えておりませんでした。

もう、このブログは、、、何と言うか、冷蔵庫の片隅に一ヶ月くらい前に購入した生鮮品が入っていて、

はっとして見つけたのですが、恐ろしくて手が付けられないもの、、、のようになっていました。

が、触ってみますと、このブログ、まだ生きておりました。もうとっくに削除されていたかと思ったら

ちゃんと生きておりました。そして皆様の多くのコメントが放置されていて、、、。

ホント申し訳ありません。


それで、どうしてまたこのようにタイピングしているかと言うと、

ほっと一息したり、愚痴を言うために、ブログを活用したいと思ったからです。

勝手で申し訳ありません。


同時にストレス解消にCDを購入したり、スピーカーを何度も入れ替えたりしていたので

また書きたい!と思ったからです。ネタがたまったと言うことで。


読者がいらっしゃるかどうか分かりませんが、

書くことで自己満足できそうです。


激務に近いので、以前のようにたくさん更新できませんがよろしくお願いします。


最近、しきりに気に入っているのが、モーツァルトのクラリネット五重奏曲です。

生誕250だからと言うわけではなく、ここ3年くらい、モーツァルトには傾倒してきました。

一番のお気に入りはフランスのミシェル・ポルタル(クラリネット)を中心とするCDです。

ジャケ写がありません。というかこれくらいアバウトで行きます。

ポルタルは元々ジャズ・ミュージシャンで、それがいいほうに作用しています。

つまり遊び心と、テクニックがこの曲にちょうど良い具合なのです。

心のひだの奥に染み入る音楽に、

疲れ果てたとき、どれ程、癒されたことか。

わたしの本性としては気に入った曲を見つけると、同曲異演盤に走りますが

このCDに限ってはこれで十分。

オンマイク気味のざらっとした録音といい、旋律と抑揚の妙といい、

これ以上の名演があったら困ってしまうからです。


だらだら書きました。

この程度で良かったら、またお付き合いください。


追伸としては、残念なことにコリーさんのブログが閉店したことです。

それも知らず、12月31日も1月1日も仕事にかまけておりました。

彼の更なる飛躍を願います。

ザ・コンプリート・クール・ストラッティン・セッション

 ジャズ評論家の巨匠、故油井正一氏が「ジャズのレコードは見つけたときに買うべし」という名言を残している。大衆音楽とは言えないジャズのレコード、CDは、ショップで自分の手から離れたら最期、入手できなくなるものが多い。ネットが発達した今でさえそうである。ちょっとのタイミングで買い逃したものに東芝EMIの国内盤「ザ・コンプリート・クール・ストラッティン・セッション」があった。まず、ジャケットを見ていただきたい。

コンプリート

 

 このジャケット、わたしのプロフィールのところと見比べていただくと分かるのだが、別テイクなのである。いつでも買えると思っていたら、いつの間にやら廃盤に。中古、オークション、共に目を光らせていたが、なかなか登場しない。登場してもオークションだとすぐに4000円~5000円以上の高値が付く。何と言ってもこのジャケットと思い指をくわえて眺めていた。するとつい先日、中古で1200円のものを発見。すぐに注文。無事、わたしのもとに届いた。この写真の別テイクが多数、載せられている。やはり、正規のジャケットと、この写真が優れている。80年代に輸入盤レコードで正規写真の反転ジャケットが出て、アメリカのソニー・クラークへの情の薄さを感じたことがある。わたしは断固買わなかったが、今になるとたまらなく欲しいものだ。当時、ディスク・ユニオンで1500円くらいで、やはりそういう扱いで売られていた。

 さて、このCD、ジャケット以外にも面白いところがある。モノラルのマスター・テープが使われていることだ。発売当時はまだステレオが普及しておらず、モノ盤とステレオ盤が同時に発売されていたそうだ。ブルー・ノートの場合、モノ盤で入っていた、ミュージシャンの声なんかが、ステレオ盤ではカットされたりしている。このCDで面白かったのは、一曲目「クール・ストラッティン」のステレオ盤では、2箇所ほど「ブチッ」と雑音が入るのだが、それがない。てっきり、微妙に編集ではさみを入れたものだと思っていたが、モノ盤を幾ら聴いてもそれがないことを考えると、編集ではなく、ステレオマスターのキズのようだ。また「ディープ・ナイト」では、少しテープが歪んでいるものの、ソニーのカウントの声が微かに聞こえる。テープのゆがみのゆえ、ステレオマスターでは上手に省かれたのかもしれない。

 まだ到着して、数日だが、新た発見があって面白い。宝物が一つ増えた気分だ。