「暫定復活」ジャズ&クラシック・レコメンド -30ページ目

THE SUMMER KNOWS/ART FARMER/UCCU-5127

 

 危険な香りのするアルバムである。この危険と言うのは卑猥とかそういうことではなくて、ジャケットから選曲から非常にアヤシイ香りがするのである。つまり、ジャズ通は手を出してはならないようなオーラが出ているのである。まず、ジャケット。きれいな小石が敷き詰められているところにサマーハット。そして女性のポラロイド写真。これではリチャード・クレイダーマンとかポール・モーリアだ。選曲が「想い出の夏」、「黒いオルフェ」、「アルフィー」と来れば、中途半端なジャズ通の黄色人種プロデューサーによる、ケニー・ドリュー系ジャズカラオケ盤と思われてもしょうがない。日本制作盤だからと言って安心していられない。音楽は薬か毒でなければならいと思っているが、そのどちらでもなく、箸にも棒にもかからない日本製洋盤が非常に多いのである。

 だが、勇気を持って手を出してみると、意外と良いのに驚く。「想い出の夏」は前掲のケイコ・リー盤まで成熟を待たねばならぬが、そこそこアグレッシブでフリューゲルの音色(ねいろと読んでいただきたい)が心地よい。このアルバムの成否に貢献しているもう一人がシダー・ウォルトン。実に趣味の良いバックにソロに大活躍である。結局ここまで来ると、日本制作云々の前にアーティストの実力と言うことになるのだろうか。

 音が70年代らしい高域偏重なのが残念。シンバルがちょっと耳障り。

個人的主観による星の数(5つ星で満点、☆は0、5点)。

★★★★

SARAH JANE CION/SUMMER NIGHT/NAXOS JAZZ 86071-2

 

 まずはバジェット・プライスで新譜を作り続けるナクソス・レーベルを賞賛したい。限られた予算内でがんばっているので、玉石混交は免れないが、比較的、石は少ないようだ。このサラ・ジェーン・シオンはまさに極上の「玉」である。これはゴリゴリのジャズファンじゃなくても楽しめるアルバムだ。女性らしく優しいピアノタッチ、また敢えてピアノの限界に挑戦せず、その美点を最大生かそうとするロマンティックな世界は、褒めても良いだろう。チック・コリアの影響が色濃いが、彼のように気まぐれではない。

面白いのがマイケル・ブレッカー参加のTRACK3:SUMMER NIGHT である。恐らくアルバム制作費のほとんどは、彼が持っていったのではないか。この曲、マイケルに遠慮してと言うか緊張して、彼女が全然、スイングしていないのである。それでは、という感じで、マイケルがバリバリと吹きまくり、ビリー・ハートが白熱するのだ。彼女は完全に伴奏者になっている。ソロもしどろもどろ。これは木住野佳子がセカンド・アルバムでマイケルを迎えた時も同じ現象が生じた。木住野は慎重に彼の邪魔にならないようにした。黄門様の前で「ははあ~」と皆ひざまずいているような風情だ。あるいはジーコがJリーグで現役時代に、敵方がシュートコースを空けたという感じだ。そこがまた強い者勝ちのジャズっていう感じで微笑ましい。

 

個人的主観による星の数(5つ星で満点、☆は0、5点)。

★★★☆

ケイコ・リー/ビューティフル・ラヴ/SONY/SRCS8363

 はじめに言ってしまおう。これはアート・ファーマーを拝聴するアルバムである。

 もちろんケイコ・リーのヴォーカルも良いが、ファーマーのペットで霞んでしまう。象徴的なのが4曲目「想い出の夏」。彼の切々たるトランペットのテーマに続き、3コーラス(くらいか)彼のソロが続く。50年代の覇気もなく、60年代の尽きないアイディアもない。彼は切々と与えられた「想い出の夏」という曲に込めた思いを、決して饒舌ではなく、淡々と吹く。ブラッシュと適度に絡み合う。胸を締め付けられるような音楽である。このまま終わって欲しいと願っていると、ファーマーが「例の」次のソロイストに受け渡すフレーズを吹く。彼の様々な作品で聴かれる、「例の」フレーズだ。そしてやはりケイコ・リーが登場してしまうのだ。まあ彼女のアルバムだが当然なのだが、このアルバムはアート・ファーマーを聴くためのアルバムであることには変わりはない。ピアノ(ケニー・バロン)のラストの残響が消え去るまで録音しているのも良い。

 

個人的主観による星の数(5つ星で満点、☆は0、5点)。

★★★☆

LEE KONITZ WITH WARNE MARSH/KOC CD 8502

このアルバムは1曲目 TOPSY の魅力に尽きる、と思っていた。上品なアレンジに魅力的なテーマ、原曲を殺さないソロ。決して出しゃばらない、それぞれの自己主張が大人の作品であることを強調する。一般的には「トリスターノ門下生の卒業アルバム」的位置づけで見られているが、それほどクールな(冷たい)作品ではない。かっこよさでは十分クールだが。

日本盤は音がいけなかった。薄っぺらで燃えカスのような音では1曲目 TOPSY を聴くのが精一杯だった。しかしこの外盤、KOCH JAZZ からリリースされたHDCD盤はこれまでの印象を払拭する良い音だ。音を表現するのは難しいが、か細かったオスカー・ペティフォードのベースがブルンとはじけ、ケニー・クラークのドラムは至近距離でシンシンと音を立てた。ビリ-・バウアーのギターもかなり前に出てきた感がある。リーダーの二人のサックスはぴりっと塩味の聴いたジャズらしいサウンドだ。この美音に乗り、これまであまり注目していなかった、「アイ・キャント・ゲット・スターティッド」や「ドナ・リー」が俄然光りだした。後半のオリジナル4曲もトリスターノのような実験臭が全くなく、ジャズとして楽しめる。秀逸なジャケットともに手許に置いておきたい名盤である。

マスター・テープの違いからか経年劣化か、以前発売されたものよりドロップアウトが目立つ。

 


個人的主観による星の数(5つ星で満点、☆は0、5点)。

★★★★☆

 

オーディオへのこだわり(スピーカー編)

オーディオにこだわっている。オーディオが良くなると、音楽も良く聞こえるからである。とは言ってもあまりお金をかけていないというかかけられない立場にいるからつらい限りだ。

経済的に手が届く範囲のオーディオに限って言うと、最近のオーディオはダメだ。バブル期にピークを向かえ、一度死んだと言って良い。全てが小型化でMDやMP3の「音質」にウンチクを傾けるようになった段階でもう終わっている。1年ほど前にMAGNATと言うドイツのメーカーのそこそこ値段のするスピーカーを購入したが、最悪であった。かなりの帯域をカバーしているが肝心のヴォーカル付近、10000Hz付近が見事に欠落している。まるで、本人歌唱つきのカラオケを聴いているようだ。センタースピーカー、スーパーウーハーの出現で、手ごろな2CHオーディオの世界は終わってしまったのだ。

そういうわけで、わたしが選ぶのは70年代からの80年代のスピーカーだ。YAMAHAのNS-160Bは帯域が狭い分、中音が充実しており、ジャズを元気に鳴らしてくれる。70年代後期のものなのでいつ壊れるか分からないが、エッジが布製だから、極端に乾燥させない限り、当分大丈夫か。さすがYAMAHAでピアノの再生音は非常にリアル。

今のメインスピーカーはVICTORのSX-311。これは本当に手ごろで良いスピーカーだ。まず初代SX-3譲りの見てくれが、良い音を出しそうな雰囲気を醸し出している。80年後期、オーディオ的にも経済的に爛熟期に作られたものだけあって、大変な物量投入である。帯域が結構広いが、ヴォーカル、中音域のリッチな味付けも良い。クラシックのフルオーケスラからオンマイクのピアノトリオまで、それらしく鳴らしてくれる。

この2種類のスピーカーに辿り着くまで、色々試行錯誤を繰り返したが、小型ブックシェルフでしか出せない良い音や高レベルの定位の良さもあるものの、やはり、ある程度エンクロージャーを含めた大型のサイズ(うちにあるのは共にウーハーが20センチだが)にしか出せない音があり、メカニックをどうこう言っても、結局サイズで有無を言わせず、鳴らしきれてしまうものもあるのだ。

ハイエンドオーディオを使っていないから、ケーブル云々は愚の骨頂。友人から高級ケーブルを貸してもらったことがあったが、良くならないわけではないが、極端に良くなったわけではないという程の変化のために数万円、数十万円をかけるのは大金をドブに捨てるようなものである。それなら、わたしはもっと良いスピーカーを買うか、ソフトを数十枚購入するほうを選ぶ。その方がはるかに音楽的に豊かである。第一、ケーブルに個性や音質を求めるというのは気持ちの悪い話ではないか。浄水器を付けるついでに水道管を純金にするような間の悪さを感じる。ケーブルに手を出すと、それぞれのオーディオ機器の長所短所が分からなくなる気がするので、わたしは絶対に深入りしない。スタジオやサンプル試聴に幅広く使われているKANAREのNS6で十分である(m80円もしない)。不必要な味付けをしない代わり、機器の限界がモロに出る、これは諸刃の剣である。