ショスタコーヴィチ/交響曲第5番/ムラヴィンスキー
ショスタコーヴィチ/交響曲第5番/ムラヴィンスキー&レニングラード・フィル
このCDはムラヴィンスキー最晩年(81歳)の時のライブレコーディングです。
84年4月4日録音。
わたしはショスタコーヴィチ(以下ショスタコ)の5番はムラヴィンスキー(以下ムラヴィン)の54年のスタジオ録音で完結していました。
以前も書きましたが、54年盤は子供のころに、大切な方からいただいたわたしの宝物です。
わたしが最初に真剣にクラシックを聴いたレコードです。
と言うか、最初の2枚のうちの一枚ですのでこのレコードを当分は聴かなくてはならなかったのです。
この曲について幸運だったのは、最初に最高の名演にめぐり合えたことでしょう。
大人になってから、ザンデルリング、ビシュコフ、ヤンソンス、ゲルギエフなどいろいろ聴きましたが、
足元にも及びません。最初の一音で。
最初の一音で、ムラヴィンだとすぐに分かるのは至芸と言わざるを得ないでしょう。オーケストラと指揮者の
「気」が一音で一気に充満します。
ショスタコの5番については、彼が西側向けに自己批判(?)をした書籍、「ショスタコーヴィチの証言」
以後で、解釈がかなり変わり、その影響をモロにかぶったショルティ盤は失望と失笑を禁じえませんでした。
わたしは楽譜に書かれたことを忠実に音にすることが、しかも思いを込めてそうすることが
音楽家の使命だと思っております。
その意味でムラヴィンの演奏は普遍性があります。
ムラヴィンの54年の演奏は今聴くと音が良いとは言い難いものです。しかし子供のころに
刷り込まれた名盤ですので、メロディアのCD化されたものを聴いても、
あまり不満は感じませんでした。
それにしてもムラヴィン&レニングラード・フィルは録音に恵まれません。
当時の国状のためでしょうが、60年代の後半までモノラル録音です。
たまに西側に出たときの録音でも不運なものが多いです。ショスタコ5番は
ウィーンへの楽旅の際、ムジークフェラインでも録音されましたが、
ホールトーンがかかりすぎ、まるで浴室で聞いているような有様です。
ショスタコの、そしてムラヴィンの厳粛な音楽性が削がれてしまっています。
それでもう他の録音に手を出す気がしなかったのですが
先日、上記CDを中古にて購入、唖然としたわけです。
まず、これまでの彼らの録音では考えられなかった美音で最初の一音に襲われます。
54年から84年、30年のときを経ましたが、彼(ら)は全く年老いていません。
楽器の定位が明確に分かる名録音、リマスタリングです。
聴衆の咳さえリアルで、ホールの中で聞いているような錯覚を味合わせてくれます。
もう全部、一音一音がいいのですが、嵐の前の静けさ、3楽章が素晴らしい!。
確実に54年盤より、深みを増しています。
ムラヴィンのコントロールは完璧で、オケを自在に操っています。
不安感、寂寥感が高まり、どんどん背筋が凍りついていき、最後のフワーっとした和音で癒されます。
このあたり、筆舌に尽くしがたいものがあります。
フィナーレは大爆発しますが、アンサンブルの乱れはほとんどないところはさすが。
当分はこれを夜昼となく聞き続けることになるでしょう。