チャイコフスキー:交響曲第4番:バーンスタイン~NYP(89年) | 「暫定復活」ジャズ&クラシック・レコメンド

チャイコフスキー:交響曲第4番:バーンスタイン~NYP(89年)

■チャイコフスキー:交響曲第4番:バーンスタイン~NYP

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 これはバーンスタインがニューヨーク・フィルハーモニック(以下NYP)と1989年、ちょうど死の一年前に録音したもの。60年代のSONYのものとはかなり様相が異なる。と言うか、この録音はこれまでの彼の全ての録音と様子が違う。この前に彼は5番、6番と録音し、一年半ほどのブランクの後、この4番を録音したようだ。5番、6番はかなり評価が高いが、これは評価されていない。

 まず全体として、死の臭いが漂っている。冒頭のファンファーレから、もう絶望的だ。テンポも信じられないくらい遅い。だが、実際のタイムを見るまで遅さを感じさせない不思議な世界。他の指揮者の録音と比べると、1楽章が4分、2楽章が2分、遅い。遅いが非常に丹念に一音一音を紡ぎだし、徐々にヒートアップさせるので、逆に遅さの中の速さというかそういうものを感じる。ある意味スリリングだ。

 一度聴いただけではこの演奏の素晴らしさは分からない。往年のバーンスタイン&NYPの丁々発止とした演奏を想像して聴くと肩透かしを食らう。この演奏はバーンスタインが、その決して平坦とは言えない人生を音楽に捧げ、自己を破滅させてまで突き進んだ結果の壮絶な世界なのだ。他のバーンスタインのそれのようにフィナーレで浮かれることもない。静かに燃え上がり、堂々と曲を閉じる。もう先が見えてきた自分、もうこの曲を演奏しないかも知れないと悟った自分、それがこの異様な演奏を生み出したのだろう。単に老いぼれた巨匠が遅々と演奏しているのではない。しっかりと死を見つめたバーンスタインの出した結論と言うか諦観の念を、この演奏から読み取ることができる。

 この曲のいわゆるスタンダード的な、スヴェトラーノフやカラヤンの演奏も好きだ。また60年代のレニー自身の演奏も。だがこの異色とも言える演奏は、これが正しいと受け付けると、他の演奏を跳ね返すだけの説得力を持っている。

 エイブリーフィッシャー・ホールの飾り気のない古典的な響きも良い。